私が顕著に出していた問題行動は、不登校と夜間徘徊だった。
私がその問題行動ばかり起こせば起こすほど、母は創価学会の活動に性を出し、それを見ていた私は、もっと問題行動ばかりしていた。
挙句に私は、児童自立支援施設に送られたり、思春期病棟のある精神科病院へと送られた。
思春期病棟のある精神科病院は、いろんな問題行動をする思春期の人たちが入院していたが、私への治療は特に行われていなかった。
大学で心理学を学んだだけのカウンセラー任せで、ドクターが治療に携わる事はなかった。
母の再婚を期に思春期病棟のある精神科病院を出たが、母が再婚した家も機能不全家族だった。
祖母に甘やかされた養父は、ギャンブルに目がなく、お金を湯水のように使っていた。
私や母が働いて得た給料もほとんどが養父のギャンブルに消えていた。
働いても働いても養父のギャンブルに消えていく給料。
私は、働く事が無意味に思ってきていた。
それから、いまに至るまで真面目にコツコツ働くより、他人のお金をむしり取る方がいいのかなという考えが消えない。