「すっかり遅くなってしまったね…ご主人…心配してないかな…?」
昔話に花が咲き、時間を忘れてしまった事に、由紀夫はすっかり遅くなって雪菜の夫に迷惑を掛けていないかと雪菜を気遣う。
「大丈夫です…楽しんで来いって送り出されましたから…」
雪菜を気遣う由紀夫に、雪菜は高校時代の友人に会うと言ったら楽しんで来いと送り出されたから大丈夫だと笑う。その笑顔は高校時代と少しも変わっていなかった。
「ご主人って…どんな人なの?」
夜風になびく雪菜の長くて綺麗な黒髪を見ていた由紀夫は、ふと雪菜の夫についての質問を雪菜に投げかける。結婚していた事にショックがなかったといえば嘘になる。自分の初恋の人を射止めた人とはどんな人なのか由紀夫は知りたかった。
「大学時代の恩師です…歳は離れているけれどそれなりに幸せです…」
由紀夫の質問に、雪菜は自分の夫は大学時代の恩師で、年齢は離れているけれどそれなりに幸せだと笑う。
「丸岡さんこそ…聞かせてください…奥さんやお子さんの事…」
それなりに幸せだと笑った後、話題を自分から逸らすように、由紀夫の家庭の話を聞かせて欲しいと由紀夫に呟く。
「俺の家庭か…君にそんな事訊かれる日が来るなんてなぁ…」
由紀夫の家庭の事を訊かせて欲しいと呟く雪菜に、まさか自分の家庭の事を雪菜に訊ねられる日が来るなんて思いもしなかったと呟き、それから由紀夫は妻と愛娘の事を話し、恵まれていると笑う。笑ったが、心のどこかで虚しさを感じていた。たぶん、雪菜と再会したせいだろう…雪菜を射止められなかった自分に、由紀夫は虚しさを覚えていた。
雪菜もまた由紀夫の幸せそうな家庭の話を聞きながら、虚しさを覚えていた。夫は優しい優しいが、学者肌の人で、夫婦らしい事には無関心だ。夫の事は尊敬しているし、不満はないが、やはりごく普通の家庭の幸せを感じたいと思っていた。
「あのさ…」
「何ですか…?」
何かを絞り出すような由紀夫の声に、雪菜は何を言われるかわからないままに由紀夫を見上げる。雪菜が由紀夫を見上げた瞬間、由紀夫は雪菜を抱き締める。衝動的といえば、衝動的だが、雪菜ともっと一緒に居たいと思った瞬間、雪菜を抱き締めていた。
「丸岡さん…?」
いきなり抱き締められた事に、雪菜は驚きながらも、その腕を引き剥がそうとは思わなかった。初めて嗅ぐ由紀夫の香りだが、どこか懐かしさを感じていた。ついに、危険な恋のスタートは切られたのだった。